最近、あおり運転事件が多発しています。新たなあおり運転の罰則強化された道交法も施行されました。なかなか考えさせられます。「あおり運転」という社会現象がなぜ多発するのかについて。これ以上、あおり人間を世に出さないための「子供のしつけ」を考えます。
「あおり運転」という社会現象の原因は。
あおり後暴行事件も、あおり後エアガン事件もまだ、人格的未熟な20代の若者の事件かと思いきや、両方とも40歳をゆうに過ぎている人間の犯罪です。
いったいこの二人の男性、そこに付き添っていた女性、今までの40年、50年もの人生で何を学んで来たのだろうかと思います。
歳はとっていても精神年齢は小学生並みという感じです。
生んだ母親もこれじゃ情けないでしょう。死んでも死にきれないでしょう。
こうなった人間は直りません。もはや手遅れです。
責任はもちろん「本人」ですが、こんな人間を世の中にデビューさせた責任は、両親、主に父親です。
もう一度、子供のしつけについて私たちは、改めて考えるべきでしょう。
これ以上、あおり人間を世に出さないための「子供のしつけ」を考えます。
誰が子供の「しつけ」をやるのか 。
誰が子供の「しつけ」をやるべきでしょうか。
これ以上、あおり人間を世に出さないための「子供のしつけ」をです。
先ほどのアオリ運転で逮捕された二人の人間は、今後も直りません。
もはや、彼ら あおり人間 をコントロールできるのは、犯罪を犯したら割に合わない代償を悟らせることです。
あおり人間 には「損得」を悟らせ、社会的制裁を受けなければならないという「恐怖」を与えるしかありません。
ご存じと思いますが人間の脳は三層構造になっています。
古い順から「爬虫類脳」「哺乳類脳」そして大脳新皮質と呼ばれる「人間脳」です。
先ほどあげたあおり人間の場合、「人間脳は」小学生程度で止まっていて未発育なので、「爬虫類脳」「哺乳類脳」に反応させる対処が必要です。
例えば「損得」、つまり「エサをもらえるかもらえないか」。
「恐怖」つまり「苦しい思いをするかしないか」です。
彼らの年では「人間脳」のさらなる発育ははっきり言って無理です。
これは私が長年塾を経営して感じていることで、人間の脳はわずか6~7歳で脳のメンタルブロックがほぼ出来上がりそれ以降は歳を重ねた分、そのメンタルブロックは強固になっていきます。
だからこそ、子供時代強いて言えば幼年期の教育、「しつけ」をしっかりやらないと、後では取り返しの付かない結果がまっています。
「あおり人間」を生み出したのは、偶然でなく必然です。
さて子供のしつけは誰がやるべきでしょうか。
もちろん法的に養護権をもっているひと、普通で有れば両親です。
子供は、衣食住を与えているだけでは「しつけ」はできません。
子育ての中で、「しつけ」という大きな要素をしっかり、母親も父親も意識しておかなければなりません。
実際、自分の身を削ってまで、やって、初めてそれなりの「しつけ」ができます。
とても片手間では「子供のしつけ」はできません。
ましてや、保育園の先生や学校の先生をあてにしても無理です。
しつけを行わず野放しにペットのように育てた場合、新しい脳である人間脳が未発育のままの爬虫類人間が世に放たれます。
父親が「しつけ」の要(かなめ) 。
父親が「しつけ」の要です。
今から20年ほど前のデータですが、ある民間組織の調査で、東京、千葉の幼稚園児と小学生低学年をもつ母親と、幼稚園の先生に対するアンケートです。
まず、「子供たちに不足している力や態度」では、「基本的な生活習慣」81,9%。
「最後まで頑張りぬく力」76,8%、「集中力や根気など学習の基礎となる力」76,8%。
「幼児なりの礼儀作法」71,6%でした。
一方母親が、子供をみて身に着いていると考えている項目は「年相応のづ特性」92,8%。
「基礎的な生活習慣」91,1%、「友達と付き合う態度」86,1%でした。
この中で「基礎的な生活習慣」は正反対の結果がでています。
これは、両者でスタンダードが違っています。
具体的に幼稚園の先生の指摘例では「トレーニングパンツで登園する子がいる」「夜更かしで園に来るとあくびをしたり寝そべったりする子がいる」「空腹時でも嫌いな食べ物には見向きもしない」です。
今の母親が「しつけ」の基準があまく、その分、幼稚園にて影響がでてしまっています。
実際、私が母親の子育てを見ていて感じるのが、日々大変な「育児」を大抵は働きながらこなし、多くの母親が「しつけ」までまかされています。
ですが、なかなか、子供は母親に絶大な信頼をよせていて、そんな安心感もあって、肝心なところでやさしく威厳が感じられない母親の言う事をきいてくれません。
そんなとき父親の存在です。
一概には言えませんが、私の周辺では、父親の影が子育てに見えてこない感じが多い感じです。
もう少し母親の育児がいかに大変なのかそれを理解し、父親がそこにちゃんと存在感をしめすことが必要です。
父親でも出来る事は応援し、逆に父親でなければ出来ないことをしっかりさとり、子育てのなかで「しつけ」をしっかりやることです。
モンスターペアレンツの世代。
ちょうど日本人が戦後の豊かさのなかで、精神的な価値観を忘れ去り物質的な価値観に変わっていったころの子育てが今の結果としてでているわけです。
前章で挙げたアンケートデータは知らず知らずのうちにわが子のしつけを他人に任せてしまっているという実態の表れではないでしょうか。
そういえば、モンスターペアレンツという言葉が流行したのが今から20位前でした。
わが子中心に地球がまわっていると勘違いしてるのか、脳が動物脳なのか、ちょうど、今回の「あおり運転事件」の子育て世代にあたります。
父親が子育てで、すべきこと 。
父親が子育てですべきことななんでしょう。
まず父親が積極的に子育てに参加しなければいけません。
実際お母さん任せが意外と多いと思います。
そして、その中で父親では出来ないことを自覚してしっかり父親が責任をもってやるべきです。
こと「しつけ」に関しては母親と父親の共同分担です。
主に、日常の生活面はやはり細かく目の届く母親がやるべきですが、父親は子育てに忙しい母親よりいっそう社会の風を背中に受けて暮らしています。
そうした社会的適応や友達を大事にすることなど少し脇から生活面の「しつけ」をサポートします。
そして、お父さんが絶対に怠ってはならないことは「物事の善悪」をもの心ついたときから、徹底的に教える事です。
そんな「しつけ」がなされていれば「あおり運転問題」もなかったでしょう。
同じように数年前の東名高速での「あおり運転」の犠牲になって、幼い子供たちの眼の前で、御両親が後続のトラックにひかれて、亡くなるという惨事もなかったかもしれません。
あの時のあおって高速の追い越し車線に停車させ死亡に追い込んだ犯人も遠からず刑期を終え釈放されますが、あの腐った心根はもはや直りません。
だから、あの男には損得と恐怖を植え付けるしかありません。
悲しい犠牲者をさらに増やさないためにも、幼児のときしっかりお父さんが「ことの善悪」を徹底的に教えることが大切です。
父親の存在と母親の存在の違い。
人間は哺乳動物です。
哺乳動物は一つの習性があり、メスの親は絶対に子供を殺しません。
例外は人間の一部母親だけです。
そして、オスは自分の子供と確認できない子供は殺しておきます。
これは、例えば身近に飼われる猫でもそうです。
自分の縄張りで子猫を見つけると子猫の頸動脈をあっぱくしてわずか数秒で殺します。
血もでません。
そしてこのことは人間の遺伝子にものこっていて、子供は母親にはこころの底からあまえますが、父親に対しては、遺伝子的には「殺されまい」という意識、実際的にはお父さんの機嫌を損ねまいという行動を本能てきにします。
だから、お母さんの言う事は叱ってもききいれない子供もお父さんには一目も二目も置きます。
これがお父さんの「威厳」です。
「ことの善悪」を子供に「しつけ」として教える時は、ある時はやさしく、ある時は理路整然と、またある時は感情をこめて、そしてある時は「威厳」をもって「しつけ」をする必要があります。
特に、事の善悪を理論的に説明してあげる、社会の中での関わりずけをしっかりしてあげるのはお父さんの方が向いています。
そして、母子家庭の家では、お母さんがお父さん通りの役割は100%出来きれないので、自分で考えさせる習慣を子供に早い時期から教えます。
母子家庭では、お母さんひとりが頑張っても大変です。
子供は立派な人生のパートナーになってもらいます。
一足さきに他の子より大人になってもらうために常に一歩先の指導をし期待をもちます。
大きな期待と高い自己イメージをもった人間はたとえそれが子供でも結構頼れるパートナーになります。
例えば、かつて日本人の成人は、武士の社会では「元服」といい16歳でりっぱな大人でした。
そして、そんな期待と苦労もしっかり背負って成長した人間はやがて社会の宝物になり、お母さんだけでない多くの人を幸せにしてくれます。
だから、母子家庭ってやりがいあります。
実際母子家庭の母さんは皆前向き思考、愚痴なんて言っている暇があったら働きます。
そんなお母さんの背中は世間のお父さん以上に子供の魂に刻み込まれます。
だから母子家庭だからと言って、子供のしつけに大きなはハンディではありません。
話は変わりますが、昔から日本人は悪いことをすると例え誰かに見つからなくても、「おてんとうさまが見ている」という教育をうけました。
まだ精神教育が通用した時代でもありました。
1986年ころ、一つの事件がありました。サクランボの産地山形で収穫前のサクランボを夜、畑から大量に盗んでいく事件でした。
当時、私は正直驚きました。日本人は、お百姓さんが丹精こめて作った割と高価なもには盗まない道徳観がありました。
亡くなった私の父も農業をやっていて、ある時畑からとうもろこしを盗っていく人を見つけたんで追いかけて問いただすと理由は「これからバーベキューをやるから盗った」と言ったそうです。
私なんぞは盗んだとうもろこしでバーベキューやっても美味しくも感じません。
今の時代もはや、昔の古き良き日本は失われ、山形のサクランボ盗難のような事件は日常てきになりました。
だから今こそ幼児期からのしっかりした「しつけ」で良い悪いの判断のしっかりつけられる人間を世の中に送り出す必要があるのではないでしょうか。
世間に対する甘え。
私は、塾を経営していることもあり、この相次ぐ「あおり」事件を「しつけ」の問題として考えます。
これらの事件の犯人に「間違い」を指摘しても心から反省はしないだろうと思います。
日頃「教育」という仕事をしていると、人を変える事の難しさを痛感しているからということもあります。
だから、今回の「あおり」事件とか、「巻き沿い通り魔」事件など、彼らの行動、人相を頭に焼き付けて、彼らを「反面教師」としてどうすれば、こんな人間に育てないかを考えるべきではないかと思います。
もうだいぶ前の事です。1999年京都府での小学2年生殺害事件がありました。
この時の犯人の若者は、親のギャンブルがもとで、両親がそろって逃げ、高校中退せざるをえなくなり、人生を悲観して自殺を考え、思いついたのが無差別殺人です。
「こんなに不幸な自分が死ぬのだから誰かを道ずれにして死んでいこう」という発想です。
その若者は警察の任意同行のすきをついて、マンションの屋上から飛び降りて死んでいきました。
その後も、秋葉原無差別殺人をはじめ、この「道ずれ殺人」は後を絶ちません。
新幹線車内での年金受給への不満で起こした事件もそうです。
「誰かを道ずれに」この発想もアオリ運転も社会に対する大きな甘えです。
そして、「貧困する若者」問題で知られるF氏が「道ずれの非」をテレビで責めることはしないでください。といっていましたが、そうなんでしょうか?
社会が毅然と悪いは悪いと言わないことが「甘やかし」の構図ではないでしょうか。
私たちは、「いじめ」の問題もそうですが、良い、悪いに対し社会が毅然とすることが、必要ではないでしょうか。
「京都アニメ」の事件もそうですが、犠牲になられた方々に真摯に悼む心があるのなら、この社会現象に「言わないで」ではなく毅然としなくてはいけません。
そして、子供たちに善悪の「しつけ」をしっかりやることです。
私は日々子供と接していますが、何か思い通りにいかないと、すぐ他人のせいにする子供は非常に多いと感じます。
「私が、悪かったからこれからは気を付けます。ごめんなさい」が言えない子供が多いんです。
そして「なんで私ばっかりが」こんな毒のこもった言葉なら子供たちは、いっぱい知ってます。
これが、将来の「あおり」やら「無差別通り魔」の予備群じゃないかと危惧してしまいます。
忘れ去られた「しつけ」。
最近の親は良くこんな叱りかたをしています。
子供に対して「はずかしいからやめなさい。」「そんなことしたらみっともないでしょ」。
考えてみて下さい。恥ずかしい。みっともない。は親の都合です。
「してはいい事、悪い事」を教えなくてはいけません。
はずかしい以前のもっと大切なことを教えなくてはいけません。
今回の「あおり」でもなんでも、こういう態の低い事件では、必ず、逮捕のときマスクとか何とかで顔を隠します。
人間として情けなく思うのは、自分のやったことの責任を取る事も彼らは教わってこなかったみたいで、「はずかしいから顔を隠す」なんでしょう。
親だったら「自分のやってしまった事の責任はしっかり自分で取れ。恥ずかしいなどと思うな」と教えるべきです。
そんな「しつけ」に対する意識の低さから最近は「え、しつけは学校でしてくれるんでしょ!」みたいなことが本気で言われます。
友達親子がまん延した社会。
だいぶ前ですが、「友達親子」という言葉が流行しました。
最初は、楽しそうに親子方並べて歩くファッションだったんでしょうが、次第にほんとの意味の友達親子になっていきました。
なにか親の方に「はき違え」があったようです。
「しつけ」をしない親子関係は友達親子関係です。
親は、身体をはってでも、我が子が自分が悪かったときちゃんと「私が悪かったです。ごめんなさい」と言えるまで「しつけ」を親の責任でやるべきです。
つい数年前の出来事。私が自宅の庭先にいたときです。
この日は、地区のお祭りで子供たちが列の先頭で「神輿」をかついで、その後ろをその親のお父さんたちがかたまって、ついて来るのですが、私が挨拶しても、挨拶がまともにかえってこない。
まあ驚きました。「一体我が子に何教えるのかな、こんなんで」と。
そして、一人の女の役員がちゃっかり玄関先に集金に来たんで私は大きな声で「ちゃんと挨拶できるようにして出直してきな」とたしなめたことがあります。
この挨拶もわすれた大人も「アオリ」と同世代です。
戦後の俗にいう「第三世代」。
第二世代の親たちが豊かになった日本を、我が子に享受してもらおうと甘やかせて物をいっぱい買い与えて育ったのが「第三世代」です。
この「第三世代」がしっかり子育てし「しつけ」をやらなければもっと悲惨な事件が起きる危惧さえもっています。
子供を日々目の前で観察できる私の率直な言葉です。
もう一度繰り返します。世のなかのお父さんが、この問題を解決するカギを握っています。
まとめ。
今回は「多発する「あおり運転」という社会現象。」というテーマでお送りしました。
最後までご覧いただきありがとうございました。
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