別稿で「中1ギャップ」で子供の自己イメージにも、大きな被害を受けた話をしましたが、まったく、ゆとりだろうが、何だろうが関係のない全く影響を受けない子供もいます。今回は、確実に成績を伸ばす方法とは何か。ゆとりだろうが学級崩壊だろうが全く、関係のなくなる話です。
成績は読解力で決まる。
はっきり言えば、成績は読解力で決まります。
今の文科省のカリキュラムで学習能力の優劣をつけるのであればすべて読解力で勝負がつきます。
ある一つの例えでこの件を説明します。
中学1年生がレースに参加しています。どちらもこれから新中1生としてこれから初めてのスタートラインは一緒です。
ですが、一人は排気量が4000ccのスーパーカーに乗り込んでエンジン一ふかしで10秒で800mも進みます。
かたや、50ccの原付バイク、必死に追いつこうとしても離されていく一方でそれでもエンジン全開で走ります。
やがてその原付バイクはエンジンが焼き付けをおこしリタイヤ―。
この、エンジンの排気量が生徒のもつ読解力です。
だから、物理的にかないません。
私の塾では、小学1年生から読解力の養成を6年間かけてやります。
だから、4000ccのエンジンのような加速度的学習が中学生になってから可能です。
私は、このブログで塾名を公表していませんので、塾の宣伝でも何でもありません。
これは事実です。
ですが、親の意識からして問題があります。
中学にいったら頑張ろうみたいな親の考えの子供が、50ccの原付バイクです。
観客は、スタートラインからの二者しか知りません。
やはり、原付はカッコ悪いです。別に、かっこ悪いのが悪いのではありません。
そのかっこ悪い姿の我が子を今までの事情も理解せず、なんとかしろと子供をなじる親がほんとはみっともないのです。
まったく真実が見えていません。
このような意識の親は子供を成績が悪いからとなじるのはやめてください。
そうすることでかわいいわが子を傷つけ、結局自分を傷つけていることになります。
50ccの原付バイクでも精いっぱいやったならかっこ悪いけど、ほんとは素敵な奴なんです。
カッコいいんです。ましてや人生勉強がすべてではないから。
親子でレースではぶっちぎられて負けたけど、他で勝てばいいと、さわやかに笑ってうなずけばいいんです。
一番残念なのが、負けるべくして負けた勝負で、そこに人の価値を競う要素など何もないのに、親が、メンツのために子供の自己イメージを下げてしまう事です。
人生のフィールドはバカでっかい大海原みたいなものです。
読解力を付けるにはどうするか。
読解力を付けるにはどうするかについて触れておきます。
私の塾では週2回1時間程度文章読解の問題を解きます。早い子ですと幼稚園の年長から始めています。その場合、小6の時点で一般の大人が解けないほどの文章も読み解くほどになります。
塾では最初、その子に応じたレベルの文章を読んで解いてもらいます。そして40段階のレベルをステップアップしていきます。当然ですがしっかり教えます。
例えば公文式などの「まる付け先生」は多くはバイトや主婦の副業の教室では教えない先生が採点に特化して存在します。
計算問題などはそのやり方が成り立ちます。教室運営者もそれほど教える能力がなくてもなりたちます。教材もしっかりしてます。
ですがこと読解力を養成するには「教えない先生」では不可能です。
私の塾は、教えながら読解力を身につけてもらいます。当然有能なスタッフも必要で人件費もかかります。
国語の文章読解、算数の文章問題は教室で教え導きながらステップアップしていきます。
ですが、私のところのような塾に来なくても塾に来たのと同等の読解力はつきます。
家で読書するだけでいいんです。
マンガではなく普通の本ならなんでもOKです。
それだと月謝もいりません。
一度、読書の習慣がついてしまえば、子供はほっといても本を読みます。
読書の習慣がつくまではやはり親の役割でしょう。
幼児の時から本の読み聞かせをしっかりやってやがて、絵入りの本から徐々に活字に慣らしていきます。
繰り返します。読解力のあるこにはかないません。文章を読む深さも早さも差があるからです。
例えば塾で、個別方式で中学校生のクラスがあった場合、読解力のある子は同じ50分間でプリントにすれば10枚こなします。
その同じ時間で読解力のない子はプリント1枚かよくて2枚、つまり、この読解力のない子は10倍多く時間をかけて勉強しなければ、勝てません。
先ほどの乗り物レースの例えが的確でしょう。
まとめ。
今回は「成績を伸ばしたければまず読解力をつけさせよ!」というテーマでお送りしました。
最後までご覧いただきありがとうございました。
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