現役の塾経営者「塾長」が送る教育ブログです。今回は「いじめる側」の心の問題を書こうと思います。いじめをした子供に「いじめた動機」を訪ねると、いじめの対象になった子供の、取るに足らないきっかけがあり、「なんでそんなんで、いじめるんだ!」と問い詰めると、大抵のいじめっ子は、「楽しいから」という答えになります。そして、周りで傍観している子供にも、それを楽しんで見ているのも結構いるかもしれません。大人も同じです。今話題の神戸のいじめ教師も「楽しいからやった」です。まあ、教員という立場上、言語道断ですが、動悸としては、子供も大人もいっしょです。
いじめを楽しいと思う心。
いじめをされて、いじめられている子がいます。
そんないじめられている子供が、困ったり、悲しかったり、恥ずかしかったり、怖がったり、嫌がったりするそんな姿が楽しいという感覚がいじめる子にはあります。
まともな人間なら、人にそんな姿をさせるのは楽しいでしょうか。
決して楽しくは無いはずです。
そもそも、人のいやなことをさせて、良いと感じるか悪いと感じるか本来自然に感性で感じることでしょう。
いじめる側の心理は結局他人が不幸になるのを、楽しむ魂なのか、悲しむ魂なのか、という事になります。
愛と光と慈悲・やさしさの心が「神の心」としたら、憎しみと暗黒と残虐・冷酷が「悪魔の心」とも例えられます。
ただ、これは、白か黒かという事ではなく、だれでも、「神の心」と「悪魔の心」が混在し同居しているものです。
例えば、いじめると楽しいと感じる人でも、自分の立場が、教師だったり、クラス委員だったり、リーダーだったりすれば、使命感でいじめなどは、普通はしないはずです。
いじめを楽しいと感じるのはその人が持つ感性だから仕方ないかもしれません。
ですが、それをそのまま行動してしまうことは、いわば人間性の欠如も問題になってきます。
私自身が塾で身近な生徒たちを観察していると、友達が困っている姿をみて、本当に共感して、心から悲しいと思う子供は、6人に一人はいます。
一クラスで言えば5~6人はいます。
心の優しい子供たちです。
私に関して言えば、テレビは全く、見ないのですが以前、お笑いタレントの「ダウンタウン」とか「とんねるず」とかいましたが、やたら、人を殴ったりして笑いを誘っていましたが、私は、少しも笑えませんでした。
笑う感性が欠けているのかと思ったこともありましたが、殴られている方も笑っているのだから笑うのが普通かもしれませんが笑えませんでした。
あれは、あれで、身を挺して、娯楽を提供してくれているので、とやかく言いませんが、あのノリは、一般社会では、いじめて楽しむノリになってしまうのかも知れません。
いじめをしない人間に育てるには。
いじめて、楽しいというのが一般人の「性」だとして、それでもクラスで例えれば5~6人は、必ずそうでない「神の心」により近い子供がいます。
そのまま大人になったら素晴らしいなと思えるような子供たちです。
もしあなたに小学生くらいのわが子がいるとしたらどんな子供に育てたいですか?
ここまで分析てきに話を展開するとやはり「神の心」により近いやさしい子供と思うでしょう。
ここで、あなたに一つの提案です。
いじめをしないようなやさしい子を育てるコツです。
この世の中は、朝起きて、夜寝るまで「否定的なネガティブな事実、事件、考え」が9割以上占めています。
それを、あなたが親として、どれだけ、「否定的なネガティブな事実、事件、考え」を打ち消してあげられるかです。
つまり、いじめを楽しいと思うひとは、この世の中の日常繰り広げられる「否定的なネガティブな事実、事件、考え」に、いつしか洗脳されて当たり前だと思いこんでしまった人たちだと思います。
まとめ。
今回は「」というテーマでお送りしました。
最後までご覧いただきありがとうございました。
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