子供の感性を磨こう!

子供の感性を磨く。 教育
子供の感性を磨く。

「感性」をテーマにします。何か感性を磨くなどと言うと芸術分野の話と思われるかもしれませんが、それに限らず、人が人間社会で生きていく上で必要な感じる心を一言で「感性」と表現します。子供を育て教育するとき一つの目標として考えてもいいかもしれません。子供の感性は「生きる力」でもありどうすれば子供の感性を育てられるかについて。

感性の豊かな子供と生きる力。

感性を磨く教育。
感性を磨く教育。

感性の豊かな子供ってどんな子か、あなたはイメージ湧くでしょうか。

では聞き方を変えて、あなたの身近にいる子供(我が子でも我が子以外でも)は感性が豊かそうですか?

どうでしょう。私が感じるところ、最近は感性の豊かな子供が減って、問題なくらい感性の乏しい子供が増えている気がします。

ひと昔前に勉強ばかりでなく「生きる力を育もうと」ゆとり教育が導入され、学力低下が問題となり、ほどなく廃止されましたが、学力が低下するのは目に見えていました。

一方生きる力が身に着いたかと言うとこれも失敗、だいたい教える学校の先生は、あの時「生きる力」を自身で咀嚼できていたんでしょうか。

教える先生が分かっていなければ教えられませんから。話がそれましたが生きる力の要素の中の一つが「感性」だと私は思います。

生きる力を育もうと」ゆとり教育が導入の詳細は「「生きる力」とは、どんな能力でしょうか?生きる力の教育について考えます」のサイトが参考になります。

「人を殺してなぜ悪い?」と質問した青年の感性。

「人を殺してなぜ悪い?」と質問した青年がいました。


こうかれこれ15年も前か、ちょっと記憶が定かでないが筑紫哲也の「ニュース23」のスタジオ収録だった思います。

スタジオに出演した若者が「僕は人を殺したらなぜ悪いか分かりません」と言い、そこに出演していた解説者たちがいかにも「もっとも」な答えをその青年に返答しました。

しかし最後までその青年はなっとくせず、その後ちょっとした世間の話題になったのを覚えているでしょうか。

その大人(解説者)は「命の尊さ」「殺された遺族の悲しみ」「道徳に反する」「人としてやってはいけないことだから」等のいかにも大人の知識人が答えそうな返答でした。

この時のスタジオの討論を見ていた私は、何か違うなと感じました。

その大人の人は学者か、評論家級の人たちで言っていることはもっともすぎるほど正しいのだけれど、教育的視点でみたとき、どれもシックリきません。

あなただったらどう答えますか?

わたしは即座に自分ならこの青年に「こう言うな」みたいなひらめいた言葉があったのですが。

これは後程紹介します。

さてこのスタジオの答えの中で法律「刑法」にもあるから、みたいなこともおしゃっていましたが、これ全くナンセンスです。

子供でも分かります。例えば、賭博禁止法という刑法条文があります。

法益(法律の守る目的)は人の持つ射幸心をあおることを禁じ健全な市民の社会生活を守る事です。

わかりますよね。表現変えるとギャンブルですから。

犯罪の成立要件はギャンブルを人にさせる事、自分がすることです。

これに対し特別法で例えば「宝くじ」「競馬」「競輪」等、暗黙の合法化でパチンコがあります。これらは合法化されたギャンブルです。

所詮法律は社会生活をスムーズにさせるためのシステムにすぎません。

殺人罪にも刑法典にはありませんが、戦争における場合、正当防衛、緊急避難の要件があれば無罪です。

りっぱな例外です。つまり子供や若者に説得するのに説得力に乏しいと言えます。

話がだいぶそれました。

高校生の「人を殺してなぜ悪いかわからない」という問いかけに対して、どんな答えがこの様な場合説得力が有るかと言うと、やはり私は「良い悪いを他人から押し付けられるよりは感じてくれ」とその時は言いたかった記憶があります。

このとき感じたのが、ここまで感性に乏しい子供が育ってしまったのかとかなりショックだった記憶がありました。

自分探しの若者の感性とは。

若者の自分探しの旅
若者の自分探しの旅

若者の自分探しの旅がはやっているようです。


最近、自分探しの旅によく出かける風潮が起きています。

別に悪いこととは思わないが治安の悪い中東の地域で死にかけた青年もでたりしました。

自分探しの旅をしたくなる若者の動機はなんでしょうか。

「自分にあった仕事が見つからない。生きる目的がない。自分が何者かわからない。日常生活から遠く離れて自分を見つめなおしたい。」

でもそんなに遠くのあえて危険な場所に行かなくてもとも思います。

自分を見つけたいのであれば、今そこに居たままでも十分みつかるはずではないでしょうか。

自分探しの若者も一概には言い切れないが、深い思索の向こうに自分を見出すというよりは、やはり今回のテーマである感性が磨かれずに成長してしまった感じがしてならないのです。

この現代の若者の感性の鈍化は色々な問題を引き起こしています。

時に陰湿ないじめをしたり、或いはそれを見ていても何も行動しないどころか、いじめられているのを見て楽しむ。

もっといくと殺人などの残酷な犯罪、小学6年生だったかそれくらいの女子児童が教室で、友達の首をナイフで切りつけ殺してしまったのもこのころの出来事でした。

子供らしくない子供。

子供の感性を育む。
子供の感性を育む。

子供らしくない子供が増えたと塾を経営して身近で子供たちに接していると感じます。

これも、もしかしたら感性の問題かもしれません。


感性のなさが内に向かうと、無気力、無感動な感じの子供になります。

単なる内気とは違って表情がないくて、子供らしくない子供になってしまいます。

元来、子供は幼児の時から楽しいことが大好きで、いつもワクワクを求めて何でも遊びに変えたがるのが自然です。

それが自然のすがたです。そして次第に大人へと変わっていくのですが、感性の乏しい子はこの自然さがありません。

もはや早々に冷めてしまっているようにも映ります。

なぜ、このような無感性の子を現代社会は生み出してしまうのでしょうか。

感性の欠けた子供が多くなっている原因。

私は仕事がら塾経営しながら多くの子供たちと接していて感性の欠けた子供が増えて来ていると感じていると言いました。

ただこの感性は数値化できないので統計化することは無理でしょう。

あくまで私の主観で感じている、感性の欠けた子供が多くなっていている原因はなんでしょうか。

やはり私たち社会が、あまりにも便利になり過ぎたことが大きいと思います。

これは、ある側面ではうつ病になる人が増えている原因とも共通していると思っているのですが、不自由のない社会では感性は育ちにくいのではないでしょうか。

例えば一つ例を挙げるとして、晩御飯どきにはだいぶ早いがお腹がすいたとします。

今の社会では、私たちは手っ取り早く家で食べるのであれば残り物や冷凍食品、インスタント食品などで済むし、外食も近くに飲食店があればお金さえ払えば食べられます。

スーパーにも簡単お手軽な食材が山ほどあり、コンビニならもっと手軽です。

これが、もし山奥の一軒家で近くに店は無し、冷蔵庫もない、電気も来ていない。

さて今から釜戸で火を起こしてご飯を炊きおかずは自然の中から調達しなければならないとしたら、今現に空腹なのに更に何か良い工夫でもしなければ3時間は食事にありつけないかもしれません。

皆空腹を我慢して協力して、何とかその食事を食べられたときに、ありがたさ、おいしさ、充実感を自然と感じます。

ただ一度の食事で感動が味わえます。

でも時には思い通りにもいきません。「次はこんな失敗はしないぞ。今回は空腹でつらかったな!」。

これは一つの例で、ありとあらゆる場面で便利さが支配している我々の環境は毒です。

スマホもその最たるものです。夜の高速を座席の高い大型車で走っているときバスの車内を覗くと 一つの座席に一つのスマホの画面の光があります。

もうここまで来たんだなともう何年か前に感じたことが有りました。そういう私も先日、いやいやながら、ガラケイからスマホに変えざるを得ませんでした。

子供の感性を育む。

子供の遊びは感性を磨く。
子供の遊びは感性を磨く。

私は人間としてまともな感覚で子供に接する大切さを改めて思います。


これももう10年以上も前の事、ある小学校の全校生徒対象に「子供会」という地域の運営主体で小学児童と父兄が参加するキャンプでの私の経験です。

私はキャンプの運営の責任者を私がやったのですが、ことは晩の食事のメニューを決める段で、米を持ち寄って飯ごう炊飯をしようと言う意見で一瞬もりあがった直ぐ後、お母さんたちを中心として強硬な反対意見がでました。

反対理由は「こどもに、御飯の焦げの洗い、かたずけなどそんた大変な事はさせられない」とのこと。

私がこの際不自由さを存分にあじわってもらいましょう。いい機会ですよ」と言うと「そんな可哀そうなことはさせられない」との一点張り。

私はこの母親のかたくなな意見に大変興味を持ちました。

なるほど、ここまで大人も意識がずれてんだから、子供がどうにかなるのも仕方がないかもと。

結局ご飯はおにぎりを街から配達してもらうことに。この社会がどこに行きつくかは知りませんが、大切なあなたの「我が子」だけはこんな意識のズレの犠牲者にさせないように守ってあげて下さい。

身近な体験で完成を育てる。

子供の感性は案外身近な体験で育てられるのではないでしょうか。

先ほど「自分探しの旅をする若者」の話をしました。

ちょうど数カ月前にある女子大生の私小説を読みました。短編だったのですが、その子が高校時代の夏の厚い日の自宅で、受験勉強をしているときの話です。

つい受験勉強のフラストレーションもあって自分を見失いそうになり衝動的に戸外へ出てあの、そらに浮かんでいる雲を採りに出かけるちいさな冒険に出ます。

手に持っているのは水の入ったペットだけ。

やがて彼女は雲をめがけて歩いているうちに大宇宙の中の自分、そして、その街で生活を営む人々、労働者、工場の機械の音を実感し、手に持っていたペットの水を灼熱の太陽に照らされ乾燥したアスファルトに撒きその水しぶきを体で感じる。

そして、もう「雲を捕まえる」という必要がなくなったと実感し帰路に就くというたった1,2時間の冒険旅行のストリーでした。

この短編小説を見て、これこそ今回テーマにしている「感性」で「自分の存在」は日々の生活の中で感じるものなのだと実感します。

その感性が無いがゆえに何か心にぽっかり穴の開いた若者(子供たちが)いるのではないでしょうか。

子供の感性の大切さ。

再び「人を殺して悪い理由がわからない」の話に戻ります。


このことに関連して、ある一人の中学生の男の子の話をします。これは実際にあった話です。

ある中学の男子生徒が、あるときからクラスのいじめっ子の標的になり、次第にそのいじめがエスカレートしていきます。

そしてその男の子は、このままではとても耐えられないし持たないと考えいつしか憎しみの感情をもって、そのいじめっ子たちをナイフで刺して殺すことを決意します。

そして、ある朝、カバンに包丁をしのばせて学校へ行きましたがその日は刺すタイミングがうまく見つからず明日こそはと翌日決行を決意します。

そして、翌朝目覚め、しばらく布団にくるまっていると、その男の子に耳にお母さんが味噌汁をつくりネギを刻む包丁とまな板のトントンという音が聞こえてきました。

その男の子は次の瞬間、あのいじめっ子たちをナイフで刺す考えをとどまります。

家族の平穏と健康とそして幸せを願って早朝から誰よりも早起きして刻む、お母さんの包丁とまな板の音はこれほど「波動」の高いものはありません。

その男の子は理屈ではなく「感性」で自分にとって人にとって大切なものを感じとったんです。

現代っ子の心の慰安。

一昔前スマップの歌で「あなたは世界にたった一人のオンリーワン」というような歌が大ヒットしました。

他にも「オンリーワン」「かけがえのない世界にたった一人のあなた」を歌った様な歌が非常にヒットする時代がありました。

いい歌なんで、そのこと自体は悪い事でなく、みないい歌です。歌の流行はそに時代の鏡です。

例えば私の幼児のころ、やたら歌は物悲しかった。「喝采」とか「ブル―ライトヨコハマ」とか、あのメロディラインが今でも頭にこびり付いている様に。

話がそれましたが、そのオンリーワンが今の若者にとって、それほど心を打つというのは、確かな自分を見出せないで、いつも心の中でどこかさ迷っている若者たちの「慰安」の歌に思えてきます。

たとえ、スーパースターとか、アイドルとか、金持ちとか特別な自分でなくてもしっかり大切な自分を感じる「感性」がないかもしれません。


子供の感性を養う方法。

実際どう子供を感性のある子に育てるかについてです。

実際どのようにして子供の感性を磨けば良いかについて私の塾経営者としての個人的考えを述べます。

一番良いのが子供が生まれる前から始めるべきです。

そうです。胎教と呼ばれるもので、この時期はまだ5感の発達が途上なのでお腹の赤ちゃんに波動の高い音を聞かせます。

例えば、自然界に存在する波長、1/fのゆらぎ、小川のせせらぎ、そよ風の音、そして、モーツァルトの音楽など。

モーツァルトは、作曲の時、インスピレーションから浮かんだ音は、完成された状態だったといわれます。

そして、お父さん、お母さん、家族の優しい愛に満ちたささやき出発点はここからです。

そして、子供の成長に応じて子供のときから喜怒哀楽の状況を与えてやることです。


そうです。もう、今まで書いてきた裏返しを実践すればいいだけです。

小さい時から、うれしい、楽しい、辛い、ワクワクする、頭にくる、悔しいという場面をたくさん作ってあげることです。

そうすれば、ありがとう、感謝します、ごめんなさい、許します、頑張らなきゃ、みたいな心の内側から自然に沸き起こってくる感情が徐々にその子を成長させます。

まず、親はそういう場面を与えてやることです。

これって口でどんなに言葉を尽くそうと伝わらないんです。

具体的にはそれぞれの置かれた環境のなかで工夫して考えればいいんで、子育てのなかでは一番ワクワクするはずです。

だって、やがて子供が親から巣立っていくまでの壮大なプロジェクト、全員参加できるわけです。

思いつくことをどんどんやればいいんです。

例えば自然に親しめるようなキャンプ、ハイキング、サイクリング、ヨット。動物を飼うこと。あまりお金をかけなくても色々工夫すれば感性を磨く状況はできます。

生きる力としての感性。

親が子供に残してあげるべきは本当の生きる力が感性です。


例え話で、お腹をすかした人に食事を与えれば、その日一日は飢えをしのげさせてあげられます。

ですが麦粒を与えて麦の育て方を教えれば、その飢えていた人は、もはや一生飢えることはありません。

生きる力ってこれですよね。感性の十分備わった人間は、他人の心をつかみます。

自分を、わが子を、家族をそして他人を大切にします。

そして、目に映るものも、目に見えないものも感じて大切にします。

幸せを、豊かな人生を自分でつかむ能力が備わります。最後に、私は猫が大好きです。もう可愛すぎて、耳を噛んだりしています。

時々猫が虐待されて首を切られたり無残な姿で発見されたというニュースを耳にします。

私はこう思います。神様はこの地球を人間に任せるぞ、と委託されて、地球上のすべての動物を支配できるほどの高度で精密な脳を与えてくれました。

そのため、脳があまりにも大っきくなってしまったので二つに分けてくれました。右脳と左脳です。ちなみに猫の脳には右脳の機能しかありません。

例えば動物を虐待する行為は、その神からの委託、信頼をみごとに裏切っています。

神という言葉に抵抗があれば、表現を変えると、そのような行為は自然に逆らった行為、けしって平穏な心、幸せな人生を、そんなひとには運命の女神は与えてくれないってことです。

恥ずかしながらこれが、私の55年間育ててきた感性です。

もちろん、あなたはあなたの感性を磨き続けていってください。

そして子供に感性豊かな人生をプレゼントしてあげてください。

まとめ

今回は「子供の感性を磨こう!」というテーマでお送りしました。

子供の感性の欠如が今の社会で問題ではないか、そして子供の感性は「生きる力」でもありどうすれば子供の感性を育てられるかという話でした。

最後までご覧いただきありがとうございました。

コメント

タイトルとURLをコピーしました