教育を問う「日本が沈む」自由と規律より。

教育を問う「日本が沈む」自由と規律より。 教育
教育を問う「日本が沈む」自由と規律より。

現役の塾経営者が昨今の思いつづる教育をテーマにしたブログです。丁度20年ほど前、塾を開き軌道に乗り始めた頃、塾としての教育理念を確立しようと考え当時、教育関連の新聞の「切り抜き」をやっていました。今回は2000年(平成12年)11月1日の日本経済新聞の特集記事「教育を問う(第一部日本が沈む)自由と規律」をテーマにこの記事の問題提起は20年後的中したかどうかを見てみようと思います。

20年の時の流れを感じたこと。

教育を問う「日本が沈む」自由と規律より。
教育を問う「日本が沈む」自由と規律より。


20年前学校では教えてくれない「成功哲学」を塾の第一理念にして自分の行き先を模索するのに新聞は大切な情報源でした。

今回の記事の発汗元の日本経済新聞は私が大学3年生のころからずっと購読していました。

そして、17年ほど前に、何か物足りなさを感じそれ以来一切新聞は、見なかったのですが、今年の春娘が大学院を卒業し地元で就職したので、日本経済新聞を再講読し始めたのですが、驚きました。

紙面一面全面つかった広告、記事の中身の薄さ、考えてみれば今回の記事が出た、当時の教育を受けていた子供たちが第一線で記者として活躍しているころです。

17年ぶりに感じた新聞の質の低下は、人材の質の低下なのか、もはや、新聞の終わりの始まりのような気さえします。

大学でしつけ。


これは、当時(20年前)の記事の小見出しそのままです。

当時、価値観が多様化しつつあり、第一線で活躍する社会人も「先の見えない時代」でした。

まずは記事を紹介します。

以下記事内容。

『十月初め、東京多摩地区にある中学校の運動会で騒ぎが起こった。最初は我が子の活躍を撮ろうとビデオカメラを手にした親同士が、場所取りをめぐった親同士が始めた口論だった。教師や他の親たちまで巻き込む混乱状態になった。

競技は30分間中断、「一時は生徒を校舎に戻そうかと思った」と教頭はいう。騒ぎを鎮めたのは女子生徒の場内放送だった。私たちの運動会を続けさせて」。

父母が子供たちの面前で荒れ、運動会を壊す。早大のある名物講座には「お約束」がある。講義中にしては成らない十か条。

講義選択時に学生に示し、守らなければ退席させる。

「私語を交わさない。」「飲みかけの缶やビンを持ち込まない」「講義中は帽子をかぶらない」企業は理念を打ち出せず、親は模範を示せない。常識さえなくした学生のしつけに、大学教授が乗り出す。社会も親も、何を伝承し、教えるべきかを見失っている。』以上原文のママ

自由、平等のはきちがえ。


先ほどの20年前の記事をご覧になれば、ひとつ前のテーマ「あおり運転」の私の「そこまで言うか」位の意見が少し納得していただけると思います。

日本人が「自由、平等が正しい」とさんざん刷り込まれ、頭に描いたイメージは「自由なんだからなんでも思った通りやればいいし、平等なんだから、先生や年上の言う事もきかなくてもいいし。敬語も必要ない」。

みたいな野放し主義がまん延し始めたのが、もはや今から20年以上前です。

あの時から日本人の意識はなんら改まっていません。

自由も平等もこの権利を享受するためには、ルールがあります。

そうです。社会には「社会のルール」があります。これは、法律に反するとか反しないとかそれ以前のことで、生まれたばかりの子供はその知識を持ってはきません。

誰かが教えなければまさに、自由と平等のはきちがえ、何やったって、法に反しなきゃいいみたいな発想になるのは、自然なことです。

運動会の場所取り事件で思う事。


今の親の意識として、「自分の子さえ良ければ」という意識の親は結構多く、教育現場でも、学校の先生の頭を悩ますことの一つで、記事にあった場所取りも正に、自分がよければいい」という自由のはき違えを親自身がやってしまっている。

そして、その親の自己中心の意識が子供にしっかり伝わっていくことです。

少なくとも、子を持つ親は、子供の前でくらいは、教育てき意識を持って行動してほしいものです。

人間はこういきるんだ。と親がありのままを子に見せる。そのありのままが、ひどすぎる。

ですが、このブログを読んでくださっている方をはじめ、「こんな状態はおかしい」と感じて下さっている人もたくさんいらっしゃいます。

つまり戦後いくら、物が豊かになろうと、日本人としての魂をしっかり、親から受け継いだ人たち、そしてその子供たちです。

決して、世間に流されないで、世間に魂を売り渡すことなく、ひたむきに生きている人たちです。そんな、考え方の波動があう人たちの共感で、再び「誇れる日本人」を取り戻せればと思います。

真の勇気を教えて下さい。


あの「あおり運転」の暴行犯に殴られっ放しの若者の映像を見て、「あそこまで、やられたら当然反撃すべき」という意見もあったようで、私自身反撃してしまうかもしれません。

でもそれは、私の弱さです。未熟さです。何も命を取ろうとしていわけでもなく、「単なるイカレタ可哀そうなやつ」です。

反撃すれば、同乗者の女性の身の危険もあるだろうし、我慢できたあの若者は立派だともいます。

記事の運動会のもめごとも、もしかしたらどちらかが理不尽だったかもしれません。

そして、その理不尽なひとは、やはり「単なるイカレタ可哀そうなやつ」で同じレベルで行動するよりは、こちらが「引く勇気」ができれば、その人の勝ちです。

こんな「我慢する勇気」を子供たちに教え、そんな場面で子供がそのとおりふるまえたら褒めて沢山「心のご褒美」をあげれば、心の栄養が豊かなりっぱな大人にやがてなってくれます。

親が示す手本。

およそ、20年前の新聞記事のなかで、今後の日本社会を危惧した問題提起が、今まさに予言のごとく的中している、としか言いようがない事件が起きています。

昨日も自宅で32歳男が自宅で義理の息子(小4)を殺害して死体遺棄、行方不明を装ったが結局容疑者としてこの父親を逮捕、今日のニュースではこの父親の供述では「義理息子に本当の父親じゃないといわれ腹が立った」である。

だから、殺すのか!もはや言葉もない。帰宅後の母親の心情を察するとこれもまた耐え難い。

未熟で頭の中身は小学生程度の32歳の父親をもった、この小4の殺された子供も不幸である。

まさに、今回のテーマどおり子育て世代の犯罪である。こんな、痛ましい犠牲者の出ない社会にしたいものである。


今回も日経新聞2000年、11月1日の記事の切り抜き小見出しが「親が示す手本」である。

記事の抜き出しから『(前文略、父母たるものがーーー、身の挙動にて教うることは、書を読みて教うるよりも深く心の底に染み込むものにてーーー、自身の所業は決して等閑(なおざり)にすべからず」(福沢諭吉著)。

教育の基本は親が行動で手本を示すことだと説く。

子供が見るべき「背中」をどれだけの親が今、持っているだろうか。

戦後教育は「良い学校に行き、良い会社に入るという画一性に親も子も縛られた。」(西川潤早大教授)分別ある子供を育てる親の役割が問い直されている。以下略』。

たまたま、昨日の我が子を殺害した父親を例にだすと、この新聞の記事が出された当時、12歳、小6か中1位である。親の(特に父親の)「しつけ」が必要な時期だし、一番、父親の「せなか」をみせて欲しい時である。

この容疑者の親は、自分の「せなか」を、親のいきざまとして「せなか」をみせる覚悟をきめて、この容疑者を育てず、野放しにしたのであろう。

あの20年前、この日経の記事以外にも教育の問題に警鐘を鳴らす意見は多々あった。

しかし、誰もが気に留めなかった。国も次にやった教育の方向転換は「ゆとり教育」である。

多くの反対意見があった。私も大反対であった。国の官僚こそ一番今のこの状況を招いた「危機意識」の感性に欠けていたといわれても仕方がない。

親が見せる背「背中」の大きさ。


恐縮なことですが、私自身のことを語ります。

私も親の背中も見て育ちました。父はもう亡くなりましたが、亡くなって3年になりますが、今でも毎日仏壇の前で手を合わせ、月の命日には父の墓を必ず参ります。

父は、農家の長男で専業農家に生まれました。ですが、現金収入が思うように農業では入らず若い時から会社務め、三交代の夜番のあけのあとも、畑に出ていました。

中卒でしたので、出世もしませんし、私たちの偉そうな説教もできませんし理屈も言えませんでしたが、自分の人生のすべてを、家と家族にささげたような人生でした。

そのひたむきに黙々と働く姿が私にとって最大の「親の背中」でした。

私には到底まねできないと今でも思います。

私も若い頃、あまえた考えをしたり、道にそれかけたこともありましたが、この親の背中のおかげでまっとうに、今の人生があると思っています。

話を戻しますが、善悪の判断をしっかりおこない、「頭に来たからあおった。」「頭に来たから殴った」「頭に来たから殺してやった」こんな発想がとうてい浮かばないような人間を育てるのは、主にお父さんが子供の幼少期からしっかり教育しなければならないでしょう。

ひとのメンタルブロックはもう小学1,2年の頃は結構固まっています。

いわば、意識の固定観念ですからこれを入れ替えるのはかなりのパワーが必要となるし、もはや成人してからではほぼ無理です。

まとめ。

今回は「教育を問う「日本が沈む」自由と規律より。」というテーマでお送りしました。

最後までご覧いただきありがとうございました。

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