働くことの意味を教える。

働くことの意味を教える。 教育
働くことの意味を教える。

塾経営者の立場で子供の教育について語っています。今回は、「人間が働く意味」を子供たちにどう教えていくかです。学校を卒業して就職するわけですが、就職に積極的になれない若者も増えています。働く意味は、やはり、教育的な見地でしっかり子供に意識させることが必要かと思います。

モラトリアム的思考がまん延した時代。

履歴書。
履歴書。

かつてモラトリアム的思考がまん延した時代がありました。


1980年代のころ、まだ、このころの日本人は「一億総中流時代」で、今ほど所得格差が無い時代でした。

当然、このころの若者は、だいたい、給料が同じくらいならどんな仕事に就くかという選択肢で迷い、そしてこの時期から、社会に出て仕事場で責任を負わされたくないという理由でフリーターが一部の若者の間で流行しました。

このような一見勝手な思いの感があるフリーターに批判の声が集まりました。

実は、このフリター現象のだいぶ前から、若者のモラトリアム思考(社会に出るのを猶予したいという考え)がだいぶまん延していましたようです。

モラトリアムとは、よくつかわれるのが、金融恐慌のときの銀行の預金払い戻し猶予につかわれる金融モラトリアムですが、このころの若者の場合社会にでるのを引き延ばしたいという意味のモラトリアム思考でした。

何が言いたいのかといいますと、若者が働く意味を見いだせない現象は今に始まったことではないということです。

戦後エコノミックアニマルとまで揶揄されて猛烈に働き、やがて、世界一の経済的豊かさを手に入れた当時の日本人、特に戦後の復興をリードしてきた先人たちは一定の目的達成感がありました。

もちろん、この人たちには世界に追いつき追い抜くという使命感が原動力でした。

その後、豊かさを手に入れた次の世代も含め、子供たちに「働く意味」をほとんど伝えて来ませんでした。

このころの日本人の意識として働くことは当たり前だからみたいな感じもあったかもしれません。

そして、ときどき、子供たちや若者達が「働く意味なんて、わからない」みたいな、疑問を投げかけられると、また大人たちがしっくりこない答えを用意していたわけです。

働く意味を見いだせなく戸惑う若もの。

国際ビジネスマン
国際ビジネスマン

私は、働く意味は、親や教師がしっかり、聞かれなくても伝えるべき人間教育のひとつだと思います。

ですが、実際のところ、子供たちの意識はこんな感じです。

「さして、尊敬もできない先生や親に「働く意味」を聞いてもなんか、こころから納得できる説明もしてくれないし、ほんとは、大人も分かってないんじゃないの。」

「仕事もつまんなそうだし、ときにつらそうだし、身近で接する教師の働く姿みていても、くすんで輝いていないし。仕事なんてしたくないな、社会にでるっていいイメージ無いんだよね」

こんな感じの戸惑いふやけた気持ち、そして最後には仕事にたいするネガティブなイメージをもってしまいます。

「働く意味」はと、あなたが、今の若者や子供たちに聞かれたら答えられますよね。

でも多くの大人は実際困ると思いますね。

即答で自分の思いを伝えられませんね、きっと。

私は、今の日本社会は、皆考える事を止めてしまった「思考停止」病がまん延していると思います。そして子供の教育の場面でもそれが弊害として出ている気がします。

「働くこと」の意識を高める。

日本人は農耕民族。
日本人は農耕民族。

ある、静岡県の工業高校で以前、就職しない生徒が多く、安易に、バイト、フリーターを選択する卒業生が毎年おおく、何とかしようと、転任してきた校長が「働く」をテーマに教育したところ、就職率100%を達成しニュースがありましたが、「働くこと」の意識を高めることは、大人からの啓蒙が有効ではないかと思います。


以前は、学校を卒業して、社会人として、どんな職業につき、自己実現をして行こうかというストレートな道がほぼあったのですが、小泉、竹中の派遣業法改正以来、雇用の形態も変わり、例えば私なんかも「働く意味を」子供に伝える時、以前より異なった切り口にならざるをえなくなってしまいました。

何を言いたいのか?といいますと、かつては、ほぼ9割以上の新卒者が、正社員として企業に就職してその中で、「働く意味」を自身で実感できたのです。

今は、一部のエリート的な人たちが従来型の雇用の枠でまもられ、多くの若者が派遣社員として、主に現場組み立てラインで労働してます。

派遣法改正の影響。

労働する若者。
労働する若者。


私は、この、派遣法改正、派遣業種の緩和、拡大は、かねてから大反対だったのですが、得したのは、企業と新たに派遣会社をおこした起業家くらい。

かたや私の知っている派遣社員はあまりにも悲惨です。

今の若者は、かつての良き日本文化が一つの法律によって失われたのをもはや知らないと思います。

あの瞬間から日本社会が階級社会になりました。

雇用の継続性の保証がなく、生涯年収は正規雇用社員の5分の一、派遣先の正社員と同じ労働内容で給料だけ違う、中には正社員から、いやな仕事を押し付けられる。

転職しようと履歴書を持ち歩ても派遣の期間はキャリアとして認めない。

派遣社員も自分も、このままじゃいけないと、なんとか、這い上がりうと頑張るけど、不可能に近い。

もちろん私なんかからすると、いくらでも嫌なら抜け出す糸口はあると思うけれども、本人たちは、大概思考的に行き詰まっています。

ぜいたく言うなと言われるかも知れませんが、実際、派遣社員同士が結婚したら子供も作れません。

こんな状況では、「働く意味」を言う前にちゃんと働きたいそれがすべて、みたいな感じもあります。

派遣社員の場合、派遣会社の社員を食わせるために、依頼企業からの報酬の3~4割は目減りしていまうという構造的な問題があります。

働く意味の意識づけが重要。

働く女性
働く女性

社会に出るまでの間に働く意味の意識づけがいっそう重要になります。


このような労働形態の多様化した、時代だからこそ小学生、中学生などの早い段階で「働く意味」をしっかり、子供たちに教える必要があると思います。

今中学では、3日間程度の「働く体験」みたいな試みがあります。

これ自体は良い試みだと思いますが、さらに、彼らと近い世代の社会人に「自分の労働観」を語ってもらうのも良いと思います。

また、家族のあいだでも、親戚、知り合いの社会人にそのひとの「労働観」を聞いてみるのもいいと思います。。

働くことは生きる事。

現場で働く男性
現場で働く男性

かっては、人は生きるために労働をしました。われわれ農耕民族は、季節が来れば種をまき、もう一方の狩猟民族であれば命の危険もかけて狩りに出ました。

つまり、「働くことは生きる事」、生きるために働いていた時代がずっとありました。

しかし、貨幣経済が発達し、様々職業、例えば、物を作る産業以外にもサービスを売って成り立つ産業、もっと進むとお金でお金を生み出す仕組みさえあります。

そんな中で、「生きるために働く」は労働の目的のベースにはありますが、そのうえで、さらに踏み込んだ「働く意味」を見い出さないとなかなか積極的に「仕事」に対し前向きになれないでしょう。

働く意味は本人が感性で感じ実感するもの。

働く意味は本人が感性で感じ、実感するものではないでしょうか。


この「働く意味」に一つの正解などありません。

先ほど述べたように生きる時代、環境、あるいは職種によっても変わるものでしょう。

ですから、先にも書いたようにすでに働いている人としての、「自分が感じた働く意味、意義」をこれから社会に参加する若者が聴くことによって、少なくても「働く」ことに対し後ろ向きにならず、「僕自身も働く意味の答えを早くみつけたい!」みたいな教育をしていけば良いと思います。

良くあるのが、この道の著名人や評論家が「私、働く意味がわかんない!」という問いかけに、その場で即答しようとしてその答えがあまりにも形式的で建て前っぽくて、いわれた若者もなんだかまるめこまれた感じもして、すごくこの問題を難しくしてますね。

だから、評論家も上から目線はやめて「僕の仕事は○○で、○○を感じて今もやりがいを持ってこの仕事やってます。だから、僕にとって働くことの意味は○○です。」

まあ、こんな、横から目線のひとがいたらこの、評論家は自分の為の答えではなくその迷える若者のために、答えたと思うので私は大ファンになりますがいないですね。

社会のなかで生きていることをいつも意識する。

社会のなかで生きていることをいつも意識することが必要です。


私が「働く意味を」例えば、若者、子供たちに伝えるときは、したがって、答えなど言いません。

ただ、今後、自分で働く意味を感じとってもらうために、絶対に忘れないで欲しいことは力を込めて伝えます。

二つあります。一つが今、学生だろうと、いま、引きこもっていようとたとえどんな状況でも、今日一日生きるだけでも、沢山の人の世話になっていて多くのひとの「おかげ」で生きていけること。

それに感謝する心は忘れないで欲しいということです。

だって、今朝食べた、ししゃも一匹だって、漁師さんのおかげだし、納豆だってお百様さんが納豆を栽培し、加工を別の人が工場でおこなってできあがりました。

そして、トラックで運転手さんが店まで運んでくれました。

自分がお金を払ったからこれらが食べられるんじゃあないんです。

そして、もう一つが自分もやがて何かの仕事をしてその結果誰かの笑顔が見られたら心からうれしいと思える感性を身に着けることです。

その笑顔を与えた人数によって、自分の労働の対価、つまり報酬の多い、少ないが決まるという事、沢山笑顔が見たくて仕事頑張る人、お金がほしくて、もっと自分を磨き頑張る人それぞれですが仕事と報酬の関係の法則は、つまりどれだけひとのためになれたかです。

多様性のある社会での労働観。

デスクワークの女性。
デスクワークの女性。

多様性のある社会での労働観について。


例えば憲法の三大義務の一つが「働く義務」です。

でも、だから当然働くというのも説得力に欠けます。法は必ずしも正しいものでもありませんし。

不労所得を手に入れて生きてる人もいます。

英語の「labor」のニュアンスのようなつらくて苦しい仕事もあります。

歌手の様にひとつのきっかけで莫大なお金を手にするのも労働です。

お金を転がしてゲームの様に金を稼ぐ人もいます。

ふりこめ詐欺のように人を不幸にして、収入を得ている人もいます。

その詐欺師に芸をうってお金をもうける人もいます。

ほんとにいろんな働くかたちがあります。

ですが、先ほどの2つの前提だけ頭にとどめて置けばやがて、自分自身で「働く意味」を見つけてくれるでしょう。

まとめ。

今回は「働くことの意味を教える。」というテーマでお送りしました。

最後までご覧いただきありがとうございました。

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