日本人は当たり前の様に自然破壊を繰り返してきました。それがおかしいとも誰も気づくことはありませんでした。残されたのは例えばコンクリートで固められた河川。悪臭とボウフラの宝庫です。日本人がの心の貧しさに気づくときは何時でしょうか。
日本人の心の貧しさ。
日本は物質的に豊かな国になりました。
戦後高度経済成長を成し遂げ、先進国となり世界で有数の経済大国になり、物質的豊かさを享受してきました。
半面日本人の心の貧しさを感じさせられることも増えてきました。日本人の「心の豊かさの」の反面、「心の貧しさを」についてです。
心の貧しさを象徴する例が自然破壊。
心の貧しさを象徴する例が自然破壊です。
自然破壊は人間のエゴです。
私が、子供の頃身近に感じた自然破壊に関する不合理は、地方の市区町村の河川行政です。
私の住む市でも、自然の川をどんどんコンクリートで固めて、魚をはじめ水生動物、植物の住めない川をつくりあげました。
子供ながらに非常に残念で当時の感情で「人間はなんてわがままなんだ」と感じました。
まるで人間のためだけの地球という考えの人の傲慢さが感じられます。
地球上の共存する生き物をあえて苦しめるようなことをなぜするのでしょうか。
今考えても当時の日本人の心の貧しさを思います。
魚などの生き物のことは配慮できない感性のない人間が街ずくり、河川行政をやって来たんでしょう。
結局、コンクリートで固めた川は、自然の浄化作用がなく、ボウフラと悪臭だけの死の川になりました。
まあ、天に向かって唾をはいて自分の顔に当たって初めて気付くような心の貧しさは救いようがありません。
この河川行政については、横浜市の和泉川が非常によいモデルとして参考になります。
当初和泉川もコンクリートに固めた土木工事を行っていきました。
それが原因で汚れ、悪臭がひどく、そこで1980年代になって、自然に戻そうという行政がおこなわれました。
そして見事自然に帰った和泉川は、川辺に植物や水中には魚の住める生きた川にもどりました。
ですが、懲りない面々のひとたちは、なおも、日本全国の川をその後何十年もコンクリートで固めつづけました。
エリート公務員をはじめ、この暴挙を推進してきた人たちは、人としての当たり前の感性が幼少のときから大人になるまでついに身に付かなかったのでしょう。
日本人の心の貧しさの象徴でもあります。
同じように諫早湾が代表するように干潟の干拓をおこない一度干拓をすればそこの干潟にすんでいたムツゴロウをはじめとする生き物をどれだけ殺したでしょう。
諫早湾の干拓ではその何万匹というムツゴロウが干された干潟でもだえ苦しんで死んでいく光景がテレビのニュースで放映されました。
その後あの、有名な訴訟で泥沼化。
これも天に唾した結果でしょう。
諫早の件も心の貧しさの象徴です
人間だけが良ければいいという身勝手さ。
戦後私たちは、かなり身勝手で、こころの貧しい行為をして豊かさを享受してきました。
最近は色々な自然の災害も増えました。
ここで、私たち日本人が真の心の豊かさを追い求めるならばもう一度感性を鋭くして考えるべきでしょう。
この日本列島に住んでいるのは人間だけじゃなく、他の生き物との共存も大事にするべきです。
不必要な自然破壊をせず、自然に対する畏敬の念をしっかり持つことです。
度々見舞う自然災害が人間のエゴの結果からくる「天に唾した自分の唾」とは言いません。
ですが、そう思われても仕方なないくらいに今までの日本人は自然に対し取り返しのつかないくらいの行状をしてきました。
物が豊かだけれど、心の貧しいに日本から一日もはやく抜け出したいものです。
まとめ。
今回は「」というテーマでお送りしました。
最後までご覧いただきありがとうございました。
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