子供の教育とは。

母と子の対話で教育。 教育
母と子の対話で教育

子供の教育をするうえで「子供の教育」とは、という原点に立って、その意味から考えていきます。教育でいう「教え」とは、人の価値観を伝えることとも言えます。「教えを」しっかり育めなかった子供は、次第に自分の周囲の同世代や、大人の行動から、その価値観を身に着けてしまいます。

教育の意味。

子供の教育とは。
子供の教育とは。

教育の意味についてです。


教育の意味を一緒に考えていこうと思います。

まあ浅く解釈すれば道徳、学校の勉強、常識を教えることですよね。皆さんご家庭でもお子さんを良い子に育てるために実践されていると思います。

文字から考えると教えながらはぐくむ(育)こと。

少し見守り的、愛情的温かみが育むからは感じられます。

どれも正解です。

今回はもう少し違ったとらえかたの紹介です。

教育とは、教えを育むという考えなんです。

つまり「教え」を大人が与えることではなく子供の心のなかで育てていくという意味です。

ちょっと奥が深くなった感じですね。

そうか与えるでなくじっくりやらなければなんて思ったかたも多いと思います。

そうですね。あの長州の松下村塾の吉田松陰先生が、教育において「大器は晩くなる」と言いました。

「いわゆる大器晩成」です。

松陰は若い頃はこまごま雑多なことに子供を縛らないで原理原則が理解できるようにゆっくりと育てれば大きな器の人間ができるといいました。

「教え」とは何か。

「教え」とは何でしょうか。


「教え」とはなんだろう?と考えてみてください。これも一つの正解などはありません。

なんか宗教の教義みたいなイメージで考えたかたもいらっしゃるかと思いますが、実はこの「教え」をどう考えるかが大事だと思いませんか。

例えば育くむものが反社会てき内容なら、反社会的な子供になるでしょう。

今じかにあなたの子供の教育に携わっている人は誰がいますか。

お父さん、お母さん、学校の先生、祖父母、、習い事の先生、あるいは塾の先生もこの中に入る場合もあるかもしれませんね。

いずれにせよ「何を育んでいるんですか」上記の立場の人が問われたとき即答できるでしょうか。

「教育の意味」を「教えを育む」と理解した場合、こどもの教育に責任ある立場の人は「教え」をしっかり認識しているでしょうか。

子供に何を教えるか。

母親は幼児に何を伝えるか
母親は幼児に何を伝えるか

子供に何を教えるかについて。


もしも、子供の教育をする大人がこの「教え」を何も認識できていなかったらどうでしょうか。

学校の先生は、「家庭でしっかりやってくれるだろう。」と考えていて、家庭でも「学校の先生は教育のプロなんだからしっかり教えてくれるよね。」みたいな感じであったら。

結果として子供に「大切なこと」を教えてあげることがを出来ていないとしたら。

こんなことを考えてみたことはあるでしょうか。間違っても食べ物さえくれていれば、子供は自然に育つなんてことはありません。

それは、絶対ありえません。誰かが「教えを」育むこと、つまり何を教えるかをしっかり認識して教え育てなければどうなるでしょうか。

有名な話で「狼少女の話」です。昔、海外の話で、狼に育てられた少女がいて、森の中から人間に保護されたときは狼そのもので、狼としてほえ狼として行動したという実話がありました。

例えば「教え」というのは人の価値観とも言えます。「教えを」しっかり育めなかった子供は、次第に自分の周囲の同世代や、大人の行動から、その価値観を身に着けてしまいます。

先ほどの狼に育てられた少女といっしょです。親がつい打算的行動を子供に見せてしまえば、そのまま打算的人間に育ちます。

「教え」の中身。

スキンシップで子育てする母親。
スキンシップで子育てする母親。

「教え」の中身が無ければそれは単なるインストラクターです。


学校の先生には教科を教わりますが、その先生に「教え」が無ければそれは教科インストラクターになります。

親の場合はインストラクターというよりはもっと的確な言葉でひと昔まえに流行った「友達親子」です。

普通インストラクターという言葉は、どんな時に使いますか?

例えばパソコンインストラクターとか。そうですよね。パソコンを習うのに教える方も、教わる方も「教え」など期待してないですよね。じゃあ、実際自分の子供の担任の先生が、単なる「教科インストラクター」だったらどうでしょう?

「教え」は漠然とした表現で言えば、「人としての価値観」とも言えます。もっと言うと親や先生が子供たちに「どんな人間になってもらいたいか」を意識したときから真の教育が始まります。

子供の教育とは。

教育とは「人としての価値観」を育む。

教育とは「人としての価値観」を育むことです。


「人としての価値観」を意識したときからもはやその人は教育者です。

職業的教育者であれ親であれ、その関わった子供には意義のある存在になります。

もちろん、「人としての価値観」もその具体的示し方も「一つの正解」はありません。

ただまずは「人としての価値観」の中身よりは教育者になることです。

「人としての価値観」をどう子供に伝えるか。

「人としての価値観」をどう子供に伝えるかについてです。


「人としての価値観」といいましたが、これだけで100記事分くらいの大きなテーマですのでここではあまり掘り下げずまあ「感謝、奉仕、社会に尽くす心、やさしさ、いたわり、生きる目的を持つこと、働く意義を理解することーーー」挙げるときりがありません。

今回はそれよりもどう伝えていくかを話します。まず一つ目はりっぱにならなくていいです。

等身大の教育者こそ教育者として大切です。親も先生もまずは、子供たちに、人間らしさ、弱い面、悲しんだり、おこったり自分も至らぬ人間だよ。というスタンスでいくことが大事です。

はずかしいかもしれないけど、どれだけさらけ出せるかです。

そして「人としての価値観」もいくつかの具体的決め事として繰り返すのです。

「人としての価値観」といいましたが理想を言えば一晩中でも語れます。

そんな大上段に構えるのではなくもっともっと絞ってその絞ったものを日常のだれでも理解できる教訓(こだわり)にしてしまうのです。

具体的にいいますね。例えばあるお父さん。子供が小学校に上がりました。そして、子供にいいます。「お父さんはお前にぜったい守ってもらいたいことが有る。できるね?」具体的には小学1年生でもわかる事。「公園、道端でゴミを捨てないこと」「自分より立場の弱い子をいじめないこと」例えばこんな感じだと子供もすぐ理解し今日から実践できます。

そして、その子が成長する毎にその心「なぜ二つのことを守るべきかで」を解ていけば「人としての価値観」の多くが伝わっていきます。

最初はただ守れ、でいいのです。そしてその子の成長にあわせその「こだわり」をとおして色々な価値観を伝えればいいんです。そうです。だれにでもほんとの教育はできます。ただしようとしてないだけです。

まとめ

今回は「子供の教育とは。」というテーマでお送りしました。

最後までご覧いただきありがとうございました。


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